最終更新日(Update)'25.08.07

白魚火 令和7年8月号 抜粋

 
(通巻第840号)
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8月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  三原 白鴉
巴里祭 (作品) 檜林 弘一
渡り初め (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (奥野津矢子選) (巻頭句のみ掲載)
  砂間 達也、松山 記代美
白光秀句  奥野 津矢子
令和七年度栃木県白魚火 第一回鍛錬吟行会 佐藤 淑子
静岡白魚火総会記 小村 絹子
野田さん、吉村さんの受賞を祝う俳句会開催 牧野 敏信
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  岡 久子、砂間 達也
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(出雲)三原 白鴉

風道を探して吊るす江戸ふうりん  鈴木  誠
          (令和六年十月号 白光集より)
 「江戸風鈴」はご存じのとおり江戸時代から東京で作られている吹きガラスで出来た風鈴で、元々はガラス風鈴、あるいはビードロ風鈴などと呼ばれていたとのことです。これが「江戸風鈴」となったのは意外に最近のことで、昭和四十年頃に「東京となった今も江戸時代と同じ製法で作られている」という理由から製造元の方が「江戸風鈴」と名付け商標登録したことによるそうです。我々はネーミングとして「江戸風鈴」の方がずっと情緒があって良さそうに思うのですが、江戸時代の人にとっては、「ガラス風鈴」や「ビードロ風鈴」の方がずっと小粋で洒落たネーミングと感じたのでしょう。この句を読んでそういう時代による感覚のずれということにも思い至ることができました。
 さて、この句ですが、「風の道を探して風鈴を吊るした」と詠んでいます。風鈴だから風の道を探して吊るのは当たり前じゃないかと思いそうですが、そこに作者のこだわりがあるのではないかと感じます。自分の部屋に丁度良い具合に音が届く範囲は限られていて、その狭い範囲の中でも風の通り具合が一番良いところ、強すぎてうるさくてもいけない、弱すぎて聞こえなくてもいけない、いつも鳴りどおしでは堪らない、と少しずつ場所を変え、高さを変えて最適な吊るし場所を探している作者の姿が浮かびます。たかが風鈴と思わない作者の性格が中七の措辞に伺えます。
 江戸風鈴の特徴は、絵が擦れて剝げないように内側から絵付けを施していることと、舌(ぜつ)が風鈴本体に当たる切り口の部分のギザギザをわざと残している点にあるとのことで、このギザギザによって擦れるように舌が当たって、鈴虫など秋の虫が羽を擦り合わせて出す音と似た周波数の音を立て、これが心地よい涼しさを感じさせてくれるようです。
 苦労の末に最適な場所を見つけて無事吊るし終え、涼やかな風鈴の音に耳をすましている作者が浮かびます。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 梅雨 (出雲)安食 彰彦
万緑や銅剣里のまほろばに
三の丸ひとつばたごの花盛り
美しき若葉を挟む養生訓
気にかかる友の句集に柿若葉
余生とは暇つぶすこと梅雨に入る
休日や梅雨の海軍大社基地
梅雨冷の厨散らかし独り酒
なんとなく孫を呼びたる男梅雨

 富士山 (浜松)村上 尚子
水木の花空を平らにしてゐたり
みづうみに雨見えてをり夏わらび
富士山の晴れ間短しさくらの実
茅葺きの屋根をかすむる夏つばめ
四十雀話のなかを通り過ぐ
黄菖蒲や筧より水ほとばしる
目に力入れて見てゐる青嶺かな
五月ゆくいちにち富士のそばにゐて

 八十八夜 (浜松)渥美 絹代
まむし草活け風音のにはかなる
山羊の仔を撫でて八十八夜かな
遡上せる鮎に鉄橋響きをり
桐咲いて入り日大きくなりにけり
母の日や山に夕日のまだ残り
田を植ゑてより初めての雨の音
ささくれを剝がし卯の花腐しかな
緑さす一枚板のけやきの戸

 嘴太からす (唐津)小浜 史都女
水苔のふはつと五月来りけり
水の香の真昼濃くなる蓮若葉
蓮浮葉風を捉へて動き出す
十薬の葉裏真つ赤や走り梅雨
人語より鳥語親しき五月晴
彫刻の森にうぐひす老いを鳴く
この星に八十余年豆御飯
おし黙る嘴太からす南風

 姫女菀(宇都宮)中村 國司
余花落花江戸ふり返る曾良の像
薔薇蕾開かんとしてこつち見る
請負の男子ばかりの田植かな
鴨と鷺目と目合はさずゐる薄暑
風呼ばず自他をゆらさず九輪草
夕焼に供ふるぐんかんのマスト
せんせいに出自を問はれ姫女菀
タクシーの社名も薫る帰省かな

 新緑 (東広島)渡邉 春枝
新しき句帳を開く花の園
木の匙に残る木の香やあたたかし
散るさくら追ひかけて行く三歳児
名園の池を一周散るさくら
初蝶の後円墳の真中より
のら猫に名前授くる子供の日
新緑や歩きながらのメール打つ
海の日に届く絵文字のメールかな

 知床 (北見)金田 野歩女
春霞ゆつくり湖に溶けてゆく
対岸の灯は出湯の宿朧月
姉卒寿足取り軽く胡瓜蒔く
知床に蝦夷赤蛙響きをり
ハンカチの木の花図鑑よりも美し
青東風や牧夫撫でをる馬の首
清流の花藻水玉模様めく
二歳児のママでなくては夏帽子

 南吹く (東京)寺澤 朝子
久々に歩む川筋柳絮舞ふ
初夏や街を貫く水戸街道
新樹蔭ノート開けばさみどりに
紫蘭咲く夫在りし日の散歩道
青い目の人形寝かせ籐寝椅子
男衆の角帯確と祭前
祭笛路地から路地へ猫通る
足早に晩年来るよ南吹く

 菖蒲湯 (旭川)平間 純一
日を纏ひ飛花や落花の阿弥陀仏
夫婦なる木墓寄り添ふリラの雨
柳絮飛ぶ木墓にありぬ魔除け紋
春蟬や朽ちゆくばかりビッキ墓碑
菖蒲湯やわんぱく坊主丸洗ひ
五月田に特急列車滑り行く
水楢の青葉そよげるアイヌ墓地
えごの花墓終ひする話など

 夏の月 (宇都宮)星田 一草
水白き渓になだるる藤の花
若鮎の遡上雪嶺を遠くして
作務衣着て寺門前の茶摘かな
チューリップ赤きワインを注ぎたし
筍に何の咎ある斬首かな
エンジンを休め田植の小昼飯
牛小屋の牛顔を出す夏の月
十薬の偽りのなき白さかな

 夏の月 (栃木)柴山 要作
眼癒え積ん読に手が若葉風
薔薇の咲きしばし王者のごとき日々
ひんがしの果ては筑波嶺麦熟るる
青葉風神鼓どよもす一の宮
街騒を眼下に涼し蕪村句碑
十薬に翼の生るる夕まぐれ
大鳥居にかなふ茅の輪や野の匂ふ
見世蔵の甍の波を夏の月

 麦の秋 (群馬)篠原 庄治
履初めの靴が足喰ふ花の旅
庭の隅稚児百合ゆるる影持たず
葭切の鳴き移りつつ葭を出ず
上州の平野彩る麦の秋
梅雨入となりたる今朝の雲厚し
廃校舎閉ぢし門柱梅雨滂沱
ほととぎす風に乗る声風が消す
赤城山裾なだらかに麦の秋

 灯台へ (浜松)弓場 忠義
灯台へゆく道ひとつ夏に入る
出航の漁船になびく鯉のぼり
闘病を笑うて暮らす古茶新茶
墨壺の真綿の乾く三尺寝
新樹の夜路上ライブの輪の中に
水門の開けられてをり花いばら
竹の皮脱ぎ捨てらるる午後の闇
雨蛙尊徳像の薪の上

 風を味方に (出雲)渡部 美知子
初夏の風を味方に六千歩
大粒の苺を口に電話とる
瑞垣に沿うてくるくる白日傘
薫風や骨董市をふた巡り
せせらぎの音に乗りくる新樹の香
夏めくや手に銅矛のずつしりと
朝風のささやき合へる植田かな
夏のれん割つて二人の指定席

 煤の跡 (出雲)三原 白鴉
麦秋や土器に煮炊きの煤の跡
遺跡への道はひとすぢ椎若葉
たかんなや竹林にある狭き空
蔵人の紺の前掛け夏燕
植田渡る笛は先触れ伊勢神楽
亀の子の四肢ばらばらに泳ぎけり
昼顔や浜に錆つく巻揚げ機
貫入の音の間遠に夏の月

 杉菜抜く (札幌)奥野 津矢子
杉菜抜く朝のあいさつ交はしつつ
風よろし肺の奥までリラ吸うて
筍を剝くどこまでと決めもせず
墓標とも見ゆるビル街夏霞
噴水は子供の夢の高さまで
啄木碑までの坂道九輪草
夏の蝶草に沈んでゆくところ
潮の香に途中下車する夏帽子

 口笛 (宇都宮)星 揚子
甕の蝌蚪三ミリほどの尾を振れり
運転手声を明るく更衣
口笛に犬呼び戻す麦の秋
寺町に餃子の匂ふ薄暑かな
腹筋の割るる仁王や青嵐
慈光寺の粒の揃へる蛇苺
走り梅雨足の指反る大師像
くるりと蟻仏足石のもん計る

 麦の秋 (浜松)阿部 芙美子
集落といへども三戸麦の秋
母の日や姉がますます母に似て
花束の白き薔薇より萎れゆく
更衣杖の代りの男傘
新茶淹る節榑立てる男の手
何気なき日々どくだみの匂ひけり
梅雨晴の香る柾目の檜風呂
数多付箋付けたるままに曝書せり

 汀 (浜松)佐藤 升子
仕舞屋となりたる鍵屋花みづき
はつなつの汀を走る波頭
新緑や触るれば熱き馬の首
滑り台の着地は砂場若葉風
風薫る小学校に木のポスト
一つ失せたる白服の貝釦
吐く息の始め大きく水中花
杭に干す漁網一枚蒲の花



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 バナナ (鳥取)西村 ゆうき
茅花照る遠山に日の入る刹那
柳絮飛ぶ日陰日向を出入りして
青葉木菟夢の中まで鳴きに来る
山車蔵の壁の高さを夏の蝶
樟若葉シーソー高く跳びはねて
トルソーの隣のバナナ濃く匂ふ

 新樹 (亀山)大澄 滋世
田から田へさざ波走る夏はじめ
鶏の声の尾をひく芒種かな
書出しのインクの青さ風薫る
夏蝶の行きつ戻りつ弥陀の前
雲水の声遠くより柿の花
戒壇院手探りで出で新樹かな

 軽鳧の子 (浜松)大村 泰子
藤棚の上すれすれを鳥過る
尺角の大黒柱武具飾る
はつなつや吹かれて育つ硝子玉
万緑の気を手繰り寄せ太極拳
軽鳧の子の水に映れるもの突き
しがらみの多き家系や日雀鳴く

 往診の医師 (磐田)齋藤 文子
豆腐屋のラッパ遠くへ麦の秋
薔薇挿して往診の医師待ちてをり
小満や炒飯ぱらりと仕上がりぬ
蛍袋一番星に傾きぬ
月見草いつもどこかが揺れてをり
冷し西瓜割つて夫の誕生日

 虹 (一宮)檜垣 扁理
むらさきの馬鈴薯の花昏れゆけり
毒少し欲りて青梅嚙りけり
新緑の気を吸ひに来る憂き日には
たけのこや無性に海の恋しくて
朝からの雨母の忌の虹を呼ぶ
母の忌や枇杷ほんのりと色つけて

 夏の蝶 (松江)小村 絹代
夏の蝶さらはれさうな海のいろ
干拓の風は真つ直ぐ茄子の花
田水張る空の機嫌の良き日なり
やはらかき土の匂や藷を挿す
嬰子のかすかな寝息祭笛
餅ひとつ貰うて帰る祭かな

 絵画展 (多久)大石 ひろ女
石庭の音なき流れ緑さす
夕薄暑一番星の潤み初む
何もせず一日暮れゆく麦の秋
新緑の山ふところの絵画展
母の日のふたりの母に香を焚く
麦刈つて地球が軽くなりにけり

 立夏の岬 (松江)西村 松子
波が波押して立夏の岬かな
灯台も客船も白夏に入る
踵から歩くリハビリ夏来る
見習大工の耳に鉛筆五月来る
一都句碑見ゆる山門新樹光
田を植ゑてやすらぎの灯を点しけり

 余花の雨 (中津川)吉村 道子
夏来る最前列で聞くロック
ハンカチの木の花洗ひたてのごと
青葉風オープンカーに僧衣かな
余花の雨湯葉の刺身を足す昼餉
青時雨山のホテルの窓叩く
夏霧や鐘鳴つてゐる磴の上

 祭 (多摩)寺田 佳代子
二階建てバスや新樹の丸の内
ぐあわんと神鈴鳴らす余花の宮
狐の面とバスに乗り合ふ祭の夜
畝高き薬草園の紫蘭かな
龍角散吹いてしまへり梅雨間近
パイプ椅子がたと引きたり心太



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
奥野津矢子選

 砂間 達也(浜松)
木道は北へと続きみづばせう
誰も降りぬ無人の駅や桐の花
ふと地震のこはくなりたる夜釣かな
梅花藻の音無く揺れて旅半ば
身丈より高き歩荷の背負子かな

 松山 記代美(磐田)
はつきりとリュックに名前つくしんぼ
次々と湧き出る話飛花落花
藤の花悲恋の姫の話聞く
山の名のひとつを覚え若葉風
かりゆしウエアへと役人の更衣



白光秀句
奥野 津矢子

ふと地震のこはくなりたる夜釣かな 砂間 達也(浜松)

 掲句を読んでどきりとした。本当に地震は怖い。今までどれほどの悲惨を見てきた事か、と気持ちが暗くなりそうになったが、作者は夜釣りをしていてふと感じた事なのだ。今地震が起きたらと想像をしての一句なのだ。それは夜だから尚更、釣りは一人で考える事が多い長いスパンの勝負事。釣果よりも無事に朝を迎える事を願っている。夜釣と地震の取合せに作者の不安が伝わってくる。
  誰も降りぬ無人の駅や桐の花
 駅員の常駐しない無人駅での景。乗る人も降りる人も少ないのは仕方の無いこと、駅があるだけでも良しとしたい。
 作者は誰も降りない事を汽車の窓から確認した。又は駅の近くで見ていた。桐の木は十メートルを超す大木になり花が咲くと暫し見蕩れてしまう。駅でよく見かける草花を綺麗に植えているプランターとは又違った距離感を出せた句である。

次々と湧き出る話飛花落花 松山記代美(磐田)

 そうそうと相槌を打ちたくなる句。話上手に聞き上手が時間を忘れて他人の迷惑顧みず延々と楽しく話す。時には悩み事も相談しているかもしれない。季語の「飛花」は散る桜の花、「落花」は散り落ちる桜の花、歳時記には「落花」の傍題で「飛花」が載っているが「飛花落花」と一括りでは載っていない。掲句の内容から納得出来る飛花と落花と思う。
  かりゆしウエアへと役人の更衣
 かりゆしウエアとはアロハシャツに似た半袖開襟のシャツの事で、沖縄でかりゆしとはめでたいこと、栄えていることをいう語と辞典に載っている。沖縄県知事が着用しているのをテレビで見かける事がある。この句は「役人の更衣」が主眼。破調で上句が長いが一気に読むことが出来る。

梅雨曇「徒然とぜんなか」てふ里ことば 脇山 石菖(唐津)

「徒然なか」を調べると佐賀弁で何もすることがなくさびしい、徒然とぜん=退屈、と出てきた。確かに梅雨時の曇りはどんよりとしてなにもしたくない気持ちになる。九十三歳で農業をしている作者は何かとお忙しい日を過ごしながら里言葉に愛着があり句に仕立てた。出雲の言葉「だんだん」を思い出す。

ビー玉を仲間にくはへ水中花 渡辺  強(浜松)

 櫂未知子さんの〝いきいきと死んでゐるなり水中花〟の句を読んでから私は「水中花」の句が詠めなくなった。
 掲句はガラス製のコップに咲かせる事が多い水中花に仲間を作ると言う発想がユニークで、色々な色と大きさのあるビー玉は仲間に加えやすいのだろう。視点を変えて水中花の句に挑戦をしてみたいと思わせてくれた句である。

どの坂も港へ続く若葉風 赤城 節子(函館)

 函館は坂の街、「函館の坂」十選に八幡坂・大三坂・二十間坂・チャチャ登り等あり、特に「チャチャ登り」は函館の全国大会の折に句に詠まれた方もいたのでは。掲句のようにどの坂もみんな港へと続いている。登りでも下りでも大変であるが若葉風が気持ち良く、ほっとさせてくれる句に仕上がった。

手でちぎるだけのサラダや夏はじめ 青木いく代(浜松)

 包丁を使わない、火を使わない、それだけで主婦にとってはうれしい食事の用意。お忙しい自営業の中では尚更と思う。
 今は色々の葉物野菜が出回っているので美しく美味しいサラダが出来上がったと想像出来る句。

初めての風は海から巣立鳥 安部実知子(安来)

 種々の雛鳥が巣立つ季節になった。「初めての風は海から」の措辞で海鳥の巣立ちと想像する。上手に風に乗って海にたどり着いてほしい。もう巣に戻る事は出来ないのだから・・。

青大将あと一足で踏むところ 宇於崎桂子(浜松)

 庭に出てきたのであろうか、「あと一足で踏むところ」の表現に緊迫感があり目の前の青大将に驚いた作者が見える。
 上五に青大将を据えた事で少し安心、蝮でなくてよかった。

ジーンズに脚入れてみる今朝の夏 埋田 あい(磐田)

 一読してジーンズをはくのに一呼吸置いている作者が見えてなぜ?と思ったが年齢記載欄に九十三歳と記してあり合点がいった。爽やかな夏になったのであまり暑くない日に是非はいて出掛けてほしい。

注がれて口が迎へにゆくビール 森山真由美(出雲)

 このように素直に納得のゆく句に仕上げられるとありがとうと言いたくなる。「口が迎へにゆく」の措辞はビール好きなら誰でも無意識に行っている動作であろう。

銭湯に富士と海あり昭和の日 岡部 兼明(浜松)

 しみじみと昭和を感じる句になった。今では銭湯も少なくなりタイル張りの大浴場に大きな富士山と真っ青な海の絵にお目にかかるのは稀と思う。同掲の〝太鼓打つブリキのおもちや昭和の日〟もしかり。「昭和の日」は在り来りの句になり易いが天皇誕生日→みどりの日→昭和の日と変遷を重ねた日の季語、大切にしたい。


その他の感銘句

蕗の葉の重なり深し秘密基地
車山やま蔵の紋は「魚」の字風薫る
いつまでも続く電話や夜半の春
乱暴に刈つて十薬濃く匂ふ
蚕豆や遺影の父と乾杯す
ポップコーンのやうに駆け出す夏帽子
草餅の草の色濃し峠茶屋
切り岸の象の鼻めく青岬
青嵐また五ミリ背の低くなり
小判草揺れて音なき音を聞く
蜜蜂のおゐどに花粉つけしまま
記さねば忘るる些事や葱坊主
山の神宿る湯どころ時鳥
田植終へ村に静けさもどりけり
鶴橋のチョゴリ鮮やか風薫る

高山 京子
野田 美子
堀口 もと
本倉 裕子
佐藤やす美
工藤 智子
徳増眞由美
三浦 紗和
仲島 伸枝
相澤よし子
今泉 早知
水出もとめ
小杉 好恵
前田 里美
土井 義則



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 出雲 岡 久子
打ち鳴らす板木の音も夏に入る
掃除機の敷居に跳ぬる立夏かな
初夏の風を回して一輪車
青嵐襖絵の鳥発たせけり
大玻璃戸山へ開きて夏座敷

 浜松 砂間 達也
山吹の峠を越えて村百戸
サーディンの缶パカと開け夏に入る
犬の名の残る表札柿若葉
半身を廊下に余し昼寝かな
草いきれ急に鳴り出す警報器



白魚火秀句
檜林弘一

打ち鳴らす板木の音も夏に入る 岡  久子(出雲)

 掲句の場面は、句意からして世俗から少し離れ、禅宗の修行僧がいるような山寺を想起させる。聴覚から季節を捉えるというアプローチである。板木の音が、時間と季節の移ろいを告げる鐘のように響いてくる一句である。助詞「も」はしばしば賛否の的になるが、この場合は、他の物との並列ではなく、「音もまた夏に入るように感じる」といった感覚と季節感との交差を生み出しており、句の奥行を感じさせる詠み口である。
  青嵐襖絵の鳥発たせけり
 襖絵に鳥が飛んでいる絵なのか、飛び立つごとくの景なのかわからないが、芭蕉の至言を思い出す句柄である。〝虚〟のイメージ(動かぬ絵の鳥が動く)によって、季節の到来という実(青嵐の季節)を詠んでいる。まさに芭蕉の言う「虚に居て実を詠め」の一例としてふさわしい表現を備えていると思われる一句。

草いきれ急に鳴り出す警報器 砂間 達也(浜松)

 この作者の句柄は伝統俳句の情緒の枠にはまらず、現代的なテーマを切り取ったものが多い。本句は、季語「草いきれ」が生む夏の息苦しい静寂と、「急に鳴り出す警報器」という突発的な現代的要素を組み合わせたことで、時間の断裂と実景のイメージを巧みに表現している。暑さに包まれた中に、音が突き刺さるような感覚は、読者に生々しい季節感を想起させる。この句を草いきれと警報音との因果関係のように解釈したらつまらない。あくまでも並列の事柄の取り合わせである。
  犬の名の残る表札柿若葉
 日常の中に潜む深い感情を、表札を指し示すことで、端的に表現した作品。表札の犬の名が、今なお家族の記憶の一部であることが示唆されている。物理的には消え去っても、感情や記憶として残ることの大切さが、この句の核にはある。光を照り返す柿若葉が季節の移ろいと、様々な思い出を鮮やかに浮かび上がらせている。

梅雨晴間庭に華やぐ傘の柄 八下田善水(桐生)

 梅雨晴間は、長雨の合間に訪れる清々しい晴間を指し、雨と湿気の世界へ一転して光が差し込む爽快感などを感じさせる。この一景はおりしも庭には傘が干されている。この傘の柄は傘に描かれた模様と解釈したい。季語は実景をより具象化する働きも持っている。傘の柄の視覚的な鮮やかさと梅雨晴間の明るさが一体となった、美しく軽やかな一句である。

大西日湖上の鳥の影失する 木村 以佐(出雲)

 宍道湖の一景であろうか。湖面に映った鳥の影が、揺れる水面や強い光の加減で、かすんだり消えたりする。大の字を冠する季語は、大西日のほかにも、大夕焼、大北風、大暑、大干潟、等々がある。それらはいずれも俳句として、なるほど「大」がふさわしいという詠み口が必要と思える。掲句の大西日は言い得ている。鳥影が消えゆくほどに大西日が湖面を強く普く射している状態を感じさせる。このまま鳥が消失してしまいそうな感も覚える。

待つことの長き踏切夕蛍 松永 敏秀(浜松)

 日常の風景にふと潜む時間の長さと季節の移ろいを表現している。人工物の踏切での待ち時間を詠みながらも、夕蛍の繊細な光が句全体に静かな輝きを添え、味わい深い一句である。夕蛍の淡い光が待ち時間のなかで、ほんのわずかな癒しや慰めとなっているようにも読み取れ、時間の質感が豊かに描かれている。

朧夜や微熱帯びたる風が吹く 大石登美恵(牧之原)

 朧夜は、晩春の月明かりや霞にぼんやりと包まれた夜の情景季語である。ぼんやりと夢のような空間を連想させ、視覚的にも淡い光のニュアンスを持つ。中七以降の表現には、単に暖かい風ではなく、わずかに身体にまとわりつくような風の質感を想起させ、句に独特の生々しい感触を与えている。朧夜の幻想性、艶気等を思わせる一句である。

ファミレスの憲法記念日のデート 杉山 和美(宇都宮)

 ファミレスのデートは、若者やカップルのささやかな時間を象徴し、華やかさや贅沢さはないが温かみのある日常の一コマを提示する。一方、「憲法記念日」という堅苦しくも重要な国家的記念日は、社会の規範や歴史的背景を感じさせ、重厚な意味合いを帯びている。シンプルながらも含蓄のある豊かな一句と思う。


    その他触れたかった句     

暖簾割り漢まよはず初鰹
風光る小屋より放つ伝書鳩
苔茂る梵字を刻む供養塔
ライダーの立夏の風に突き入りぬ
海に向く西行庵の余花白し
蜑の里大きく包む二重虹
ゆつくりと伽羅蕗を煮る遠忌かな
父と子の流す笹舟風薫る
千尋の谷差し渡す鯉幟
虚子庵の硝子戸軽し若葉風
最後尾はエプロンの保父夏野ゆく
蜃気楼地球の縁を船の行く
蛇泳ぐみるみる岸を引き寄せて
バスを待つ顔ぶれ変はり花は葉に
木洩れ日の坂を城へと蟻の列

青木いく代
土江 比露
山羽 法子
町田 志郎
友貞クニ子
滝口 初枝
佐藤やす美
野田 美子
松原 青風
湯澤千代子
田渕たま子
品川美保子
髙部 宗夫
髙木 恵子
大塚 知子


禁無断転載